良かれと思ってやったことが裏目に出るとき

  • ブログランキング・にほんブログ村へ人の善意を利用する人がいる。それで足元をすくわれることがある。特に名の知れた人は要注意である。利用されやすいので・・・。人を信じるのは美徳であるが、信じすぎると危険である。まさかあの人がと思う人から裏切られる。心が傷つく。私の持論は人は信じるものではないという事。これは自分を守るために必要なことだと思う。この人は私を裏切るかもしれないという前提で納得して付き合う。悲しいことかもしれないが、心を守るために必要だと思っている。自分の心も危うい。被害者にも加害者にもなりうる。相手に罪を作らせないためには、自分が騙されないことである。喧嘩両成敗という考えがある。何か出来事が起きた時、どちらにも喧嘩になる原因がある。
  • だます人も騙される人も、そういう次元では同じなのではないだろうか。
  • だます人は常に悪知恵を働かしアクションを起こしている。騙される人は人を信じている分、出遅れる。世の中は弱肉強食で、人はやるかやられるかの厳しい戦場に生きている。相手の発する言葉の裏も読み取っていかなくてはならない。疑うことは当たり前のことで、決して悪いことではないと思う。自己防衛のために。これは、清く正しく美しくから卒業して、私が社会で勉強したことである。

我慢は美徳か?

ブログランキング・にほんブログ村へ私は我慢をしないことに積極的である。

やせ我慢のようにも聞こえるが・・・。ここから抜け出せないと思って仕方なく我慢するのか、いつでもリセットできると思って、仕事をするのかではストレスのかかり具合が違う。

その人の人生の生き方とか、性格的なものとかで同じ職場や同じ仕事で長く続けられる人もいれば、その逆で変化を求める人もいる。

今は自由な時代である。選択肢が自由にできる。それも生活基盤がきちんとできて居ての条件ではあるが・・・。

「石の上にも三年といって、何事も三年は続けてみなさい。三年続けば十年続く。根気のないものは何をやってもうまくいかない。」と言われたものである。

今の時代にそれはあたっているのだろうか。多種多様なものが生まれスピードが増していくこの時代に、時間感覚が違っているのではないかと思う。

家庭を守る妻の立場で言えば虫のいい話だが、変化より安定を選ぶ。立場とか影響力で実行不可能な事もある。

自由は素晴らしいが、条件が厳しい。

経済力があってこその自由である。

妻の自由は夫の不自由の上に成り立っている。

自由にさせてくれている夫に感謝である。

変化の好きな私は職場を一年おきぐらいに転々として、刺激を楽しんでいる。

そのたびにマイナンバーを提出するのがうっとおしい。

個人情報流出の不安ハンパない。

 

 

相手を貶めるためには、噓は最大の武器になる。

ブログランキング・にほんブログ村へ世にもおどろおどろしいのは、男の嫉妬である。

かわいさ余って憎さ百倍というが、あまりにも好きすぎて、それが相手に全く通じないどころか反感を持たれたとしたら、それは恐ろしいぐらいの憎悪に変わる。

そして反撃が始まる。

相手の一番いやなことをして失脚させようと画策する。それを遂行するまではどんな手でも使う。たとえ自分の立場が危うくなろうと構わないのだ。怒りはそうすることでしか収まらないのだろう。

しかしそれは、自分の首を絞める行為に他ならない。

人間として最もやってはいけないことである。少なくとも教育現場にいる人がやることではない。

直接の相手でなく間接的な立場の弱い人をターゲットにするのは最も卑劣だ。

うそを言ってまで、さらし者にしようとしているのは、関係のない私が聞いていても、なぜか腹が立って仕方がない。こんなくだらない男に担がれて、一緒になって騒いで、ますます人間の品性を落としてしまっている人もいる。

K氏は、ひとたび口にした言葉に全く責任を持たない。

裏切り行為の極致を見ているようだ。

今まで出会ったことのない人種である。

どちらが嘘をつきやすい体質か私はわかる気がする。

誰のことを言っているのやら・・・。

 

 

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時間割

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静かな自然環境の中で釣り糸を下げて魚がかかるのを待っている時間空間は、気の短いせっかちな人には向かないと思うがそうではないみたいだ。

大事な仕事は、忙しい人に任せた方がいいとか、逆発想からくる考えが正解のことが多い。

お酒の嫌いな人にお酒関係の仕事が向いているとかいうこともある。

時間というのは刺激を求めているのか、同じパターンの繰り返しを嫌がる。

時間には停滞がない。時間が先に進むということは、常に新しいもが生まれてきているのだから、当然なのかもしれないが・・・。

時間というのは早さだけが重要なわけでもない。

絶妙なタイミングをつかめるかどうかが重要な気がする。チャンスをものにするかしないかで成功する人しない人の差が出る。

何もない無という時間の流れから価値を引っ張り上げる。魚釣りという非日常から人生の極意を学べるかもしれない。

行き詰まった時には「勝つと思うな思えば負けよ」とか「押してもだめなら引いてみな」とか

「能ある鷹は爪を隠す」とかいろいろ様々な名言があるが、それらには生きていくためのヒントが隠されている。

神経を研ぎ澄ませば、森羅万象すべてのものから学ぶことができる。

断食をして瞑想にふけったら天から何かお告げ的なものがあるのだろうか。

経験したことはないが、精神が洗われるような気はする。

修行僧のように人里離れたところで暮らす人と、そうではなく、いろいろな人たちにもみくちゃになりながら生きていくのとではどちらが人間的成長が図れるのだろう。

私はどうもあまのじゃくというか、いかにもそれらしく装っている人は逆に疑ってしまう。

聖職者といわれる教師や医者や宗教家は特に要注意である!!看板だけの人もいるので・・・。

人は自分だけの時間割 を持って生きている。人生最後に、何にどれだけ時間を使ったか総決算される。自分に恥じない生き方をしたいものである。

 

 

 

 

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地球星の住人

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私達は、テレビに映った映像で地球の姿や宇宙を見ているが、実際わかっているかというと分かっていないと思う。

私たちは、土と共に生活している蟻とかの虫と変わらないい。虫は虫の世界のことしか理解できない。次元の違う世界のことは、わからない。それと同様で人間にも理解不能な世界が存在しているのだと思う。

近すぎる世界と遠すぎる世界は実際には見ることができない。

知識だけは入ってくるので、わかった気でいるが本当にわかるのかというと疑問である。

地球上には次元の違う生き物が当たり前のように生息している。地球上では同じ次元を生きている。不思議なことだ。地球上にある生きとし生けるもの全ては、運命共同体で実は密接な関係を持っているのかもしれない。

 

延々と受け継がれてきた命の絆は、縦の関係だけではなく平面の広がりをも含み地球という星に存在している。

時々天才といわれる人々が現れる。何もないと思われるところから、マジックのように現象を引き出す。万有引力を現したニュートンしかり、一歩先行く未来人が出現する。

その天才たちのおかげで人間の世界はレベルアップして、進化していく。

もともと存在しているが我々が気づかないでいるものを発見する。ファーブルだったか、昆虫を観察している時、同じように人間を観察している何者かの存在を感じたというようなことをおぼろげに聞いたことがある。

世の中の仕組みは、凡人ではなかなか知ることはできないが、間違いなく地球の上に立っているという実感を持って生きていきたいものです。

 

 

 

 

開けてびっくり玉手箱

世の中は、進化進化の連続で停滞しているものは何一つない。

消費社会は、常に新しいものを生み出すのに全力投球している。

しかし、それも簡単なことではない。

苦労しても目が出ない時もあれば、あっけにとられるぐらい簡単に、何かが出現する事もある。

結果が出ないと、今までの努力を全否定したくなるが、そうではないのだ。

時間はずっと止まらずに動いているのだから、時が来れば必ず結果が現れてくると私は思う。

人生にいろいろな足跡を残して今に至っている自分には、新しい何かが生まれる。

思惑通りではなくとも、それはそれで楽しめばいいと思う。

努力はうそをつかないというが本当にそう思う。

ただ、時間と形が少し違うかもしれない。ほとんどは予想と違う展開になることが多い。しかし、そんな人生のほうが楽しめるのではないだろうか。

生きている間は何が起きるかわからない。

お金がなくなる心配をする大金持ちと、なくなる心配をしなくてもいい貧乏人とさほど大差はないのではと思う。

生き物は全て時間によって作られている。

どこに流されていくかは誰もわからない。

 先が分からないというドキドキ感とワクワク感が、開けてびっくり玉手箱のよう。

 

お金がものをいう時代から人がものをいう時代へ

お金・権力・名誉・地位ありとあらゆる望みが達成したら、人はその時何を思うのだろう。幸福感でいっぱいになるのだろうか。其の幸福感は永遠に続くのだろうか。

お金絶対主義は大事な人との絆をズタズタに切って、誰も信じることのできない孤独地獄に入っていくのではないだろうか。

凝り固まった資本主義は、多くの人を幸せにできない。

真面目に一生懸命働く人が馬鹿を見る世界が当たり前のようになってきた。

お金に力があると信じているが、大きな間違いだ。これから反撃が始まる。お金ではなく人の力がどれほど大切なのか思い知る時代が来る。

自分がてっぺんに上り詰めたのは、多くの人々の支えがあったからこそ出来たのに、そのことを無視するようでは砂上の楼閣のようにいつかは必ず崩れてしまうだろう。

多くの社員の生活を豊かに守ってこそ、社長の責務ではないか。しかし資本主義とは厄介なもので、きれいごとでは済まされない矛盾がはらんでいる。

あちらを立てればこちらが立たずで難しい。国の政治を見ても、なんかおかしいと思う。

お互いの主義主張を言い合っても解決の糸口が見えてこない。国民生活のための話し合いというより自分たちの保身のことしか考えていないのではないかと思う。

最重要なのはバランス感覚だと思う。

時間の経過で価値が変わっていくのだから、今どうすべきかを的確に判断をして対処してほしいものである。

与党とか野党とか対立するばかりでなく、今はどの選択肢が正しいのかを考えて結論を出してほしい。

というか視聴者参加型政治討論会をして、もっと国民の意見を重要視すべきである。

国民のための政治なのに国民不在の政治になり果ててしまっている。

みんなでやれば怖くない的に泥沼にはまっていく議員たち。たたけばみな誇りが出てくる。この温床を作っているのは他でもない私たちかもしれない。

これから大事なのは、みんなが思ったことをどんどん声に出していくことだと思う。