板前さん

職業って大体二つに分けられると思う。 意に沿わないがお金のために働くのと、お金は度外視して、純粋に好きだからやるというのと。この両方を満たしている幸せ者もいるが・・・。

前者は、お金は入るが生き方としては格好いいとは言いかねる。 後者を選んだ人たちは、人々を魅了させることができる。

その道を極めた名人ともいえる人達には、人を感動させる力が備わる。

社会というのは、多様な価値観の中で作られているから、どんな職業であれ、あるべきものとして存在している。

一つの出会いによって、一生をかける仕事が決まる。 なかなか出会えないで、転々とする人もいるが・・・。

女性の立場からすると、結婚相手に選ぶ男性の条件は、意外とこの職業に占める割合が多い気がする。 私は、若い時から寿司を握る男性を想像してカッコイイと思っていた。そして、出会ってしまい結婚。 しかし、カッコイイということがどれだけの自己犠牲のもとに、築かれているのかということを、後に知ることになる。 日本人は妥協を許さない。

すべてのものに言えるのだが、限界を超えて初めて、本物が生まれる。

数限りない壁を越え出来上がっていく本物は、そこで終わらず永遠に生き続けていく。 試行錯誤を繰り返し、化学反応を起こし生まれてくる奇跡の味。

どの世界にも通じるのだが、日本人が愛してやまない寿司の味は、格別のものがある。

最高のお米で炊き上げるシャリにもこだわりがあり、調味料も微妙な配合で作られる。

お米のとぎ方に始まり、腕のいい板前さんだとシャリの握り具合は絶妙で、手に取ったときは崩れないが、其のシャリは口の中で、すしネタとの違和感なくほぐれていくという。(これは寿司通の人が言っていたのだが・・・。) 鮮度が命のすしネタは、すべて氷が張った状態で仕込んでいく。 冷たいという感覚を超えている。 しめ鯖一つでも、そこに至るまでの細かな工程をクリアさせ出来上がる。それぞれのネタに魂が吹き込まれる。大きなマグロの塊から均一にそろって切られたネタが並ぶ。 手間暇を惜しげもなく使って、作り上げる日本料理の極みである。

主人は、流氷の流れ来る最果ての海で、漁師の息子として生まれ育ち、海をこよなく愛している。 趣味の魚釣りをしていれば上機嫌である。 厳しい環境で育ったので、めったに泣き言は言わない。 どんなに過酷であっても寝ないで仕事をこなす。 いつも鋭利な包丁を握る仕事のせいか、短気で仕事をしているときは、怖くて近寄れない。 私は、こんな主人を、カッコイイと思ったせいで、ついていくのに少々苦労をした。 毎年暮れに、家族のためにと、家で握ってくれるお寿司はどんな料理よりも美味しくて、幸せを感じる。 粋でいなせな、江戸前寿司の板さん。 段々と減ってきているのは、寂しいことです。