時間割
静かな自然環境の中で釣り糸を下げて魚がかかるのを待っている時間空間は、気の短いせっかちな人には向かないと思うがそうではないみたいだ。
大事な仕事は、忙しい人に任せた方がいいとか、逆発想からくる考えが正解のことが多い。
お酒の嫌いな人にお酒関係の仕事が向いているとかいうこともある。
時間というのは刺激を求めているのか、同じパターンの繰り返しを嫌がる。
時間には停滞がない。時間が先に進むということは、常に新しいもが生まれてきているのだから、当然なのかもしれないが・・・。
時間というのは早さだけが重要なわけでもない。
絶妙なタイミングをつかめるかどうかが重要な気がする。チャンスをものにするかしないかで成功する人しない人の差が出る。
何もない無という時間の流れから価値を引っ張り上げる。魚釣りという非日常から人生の極意を学べるかもしれない。
行き詰まった時には「勝つと思うな思えば負けよ」とか「押してもだめなら引いてみな」とか
「能ある鷹は爪を隠す」とかいろいろ様々な名言があるが、それらには生きていくためのヒントが隠されている。
神経を研ぎ澄ませば、森羅万象すべてのものから学ぶことができる。
断食をして瞑想にふけったら天から何かお告げ的なものがあるのだろうか。
経験したことはないが、精神が洗われるような気はする。
修行僧のように人里離れたところで暮らす人と、そうではなく、いろいろな人たちにもみくちゃになりながら生きていくのとではどちらが人間的成長が図れるのだろう。
私はどうもあまのじゃくというか、いかにもそれらしく装っている人は逆に疑ってしまう。
聖職者といわれる教師や医者や宗教家は特に要注意である!!看板だけの人もいるので・・・。
人は自分だけの時間割 を持って生きている。人生最後に、何にどれだけ時間を使ったか総決算される。自分に恥じない生き方をしたいものである。