春山登山で思うこと

毎年のように、春山登山の遭難のニュースが出る。前途ある若者が命を落とすのは、胸が痛む。私の子供のころの話である。母が小さな美容室を営んでいて、当時は結構はやっていたので、母はいつも忙しく働いていた。私のことはほったらかし状態だったので、私はいつも自由気ままに遊んでいた。家の向かい側に貸本屋があった。主に漫画の本が主流である。私はそこの本を片っ端から読みつくした。あまりにもたくさん読みすぎたせいか今はもう読む気にならない。しかし当時は、まだ娯楽というものが少なかったので、漫画のジャンルは選ばず色々読み漁りひそかに楽しんでいた。

その中の一つの作品にこんなのがあった。ある学園に、転校生らしいAという男子学生が現れる。誰もその学生のことを知らない。B君はそのA君のことが気になり、話かけて友達になる。A君から山登りに一緒に行かないか誘われる。山の魅力を語るA君の話を聞いてB君はA君と伴って登山をするが、遭難をしてしまう。最初からA君は存在していない。山で遭難した人たちが寂しくなって、亡霊となって友達を山に誘い込むらしいというお話なのだが、いつまでも恐怖が残っている。で、遭難事故があるたびにこの話を思い出してしまう。山とか海とかは危険がいっぱいある。私たちはほとんど自然の中で生まれ育ったという感じだが、今の人たちは、無機質の中に囲まれていて、突然外に放り出されたら、生きていけないのではという危うさがある。危険察知能力が鈍化していってないだろか心配になる。其の時だけの訓練はかえって危ない気がする。

頭でっかちになりすぎて今は、地に足をつけて考えることが難しい世の中かもしれない。。