牧大(マキダイ)さん復帰

エグザイルのメンバー、マキダイさんが昨年の12月24日(クリスマスイブ)になんと交通事故にあってしまった。

肋骨骨折と肺座礁で全治2~3か月の重症だった。

楽しみにしているファンの皆さんをがっかりさせることができないと思い、悪天候ではあったが、北海道へと出発してしまった。

豪雪のため飛行機が欠航。函館まで新幹線を利用した。ここまでは、よかった。しかし、その日の天候は史上最悪で、地元の人だと3時間も車を走らせることが、どれだけ危険を伴うことがわかるので、そういう日は絶対に避ける。

吹雪で視界は悪いうえ、ツルツル路面で、道路状況が一定していない。

走り方にもコツがいる。とにかく神経がすり減る。

危険な道路をお互いが、無理をして走っているのだから、ぶつかる可能性は、大である。

雪は、見た目は美しいが、ひとたび暴れ狂うと、手を付けられないほど怖い。雪国の人たちは、毎年散々苦しめられるので、防ぎ方をある程度身につけているが・・・。それでも冬の間は、緊張して暮らしている。

本州の方、冬に北海道を訪れるときは、くれぐれも気を付けて下さいね。

マキダイさんも大事に至らなくて、本当に良かったと思います。

 

 

 

血糖値スパイク

糖尿病は怖いと聞くが、「血糖値スパイク」とはなじみのない言葉なので調べてみると、結構これも怖いことが分かった。

糖尿病の場合は、健康診断で数値がはっきり出るので、それなりに処置を早く施すことができる。

ところが、「血糖値スパイク」とは、健康診断では、正常な数値を示しているにもかかわらず、食後に急激に血糖値が上がり不測の事態に陥ることがあるということ。

血糖値が急激に変動すると、「活性酸素」という毒性のある物質が作られやすくなる。その結果、血管の壁が傷つきやすくなり、そこを修復するため免疫細胞が集まり血管をふさいでしまうという。

それが場所によって、心筋梗塞や脳梗塞となり、突然死のリスクが高まってしまうことになる。

予防策としては、食事の仕方に気を付ける。たとえば、昼食におにぎり二つと野菜ジュースを取ったとすると、血糖値が急に上がりやすくなるらしい。これにから揚げを加えることで、たんぱく質成分が抑えてくれる。つまりは、血糖値の上がりやすい食事法を変えるしかないのだ。

なんでも考えずにバクバク食べてしまわないように、食事は頭で考えて食べなさいと、誰だかも言っていたことを思い出した。

ガソリンドローン

なんじゃこれは?と思ったら、小型無人機ドローンのこと。

今のドローンは、飛行時間が20分しか持たないらしい。

より長く飛ぶために新しく開発したようだ。

ガソリンエンジンだと1~2時間持つらしい。実用化を急いでいるようだが、安全面ではどうなのだろう。

私の頭の中だと、トンボが飛ぶように沢山のドローンが、空を舞っている未来の景色が見えてくる。

安全センサーを付けているとは思うが、落下事故は、回避できるのか心配である。

用途の幅は、広いと思う。

次の段階では、間違いなく人が単独で空を飛んでる日が来る。

人間が頭の中で想像するものは、ほとんど現実化されていく。ゆっくりした速度ではない。それは、段々と早まってきている。

人間の寿命も延びているということは,いずれはそのまま生き続けていくのではないか。つまり死なないということ。それがいいのか悪いのか微妙だが・・・。

いったい、人間はどこに向かおうとしているのか?

新しい発見は、楽しみでもある。

想定外

自然界であれ、何であれすべてが想定外の出来事が多くなってきている。

アメリカの大統領も想定外の人物がなった。我々の住む世界が、ニュートラルな状態なのではないだろうか。予想不可能で、今までの常識が通用しなくなってきている。絶対大丈夫とは、言い切れない。

逆にそういう時代だからこそ、柔軟な思考でチャレンジもできるが・・・。

地球上的発想でなく、これからは宇宙的発想で物事を考えてみようかと思ったりする。

近未来、食卓に上るのは、宇宙食?

宇宙食は、必要最小限の完全食である。

果ては、食事自体が消滅するやもしれない。

昭和人間の私としては、若者が身に着けるファッションも想定外である。

ダブダブの腰パン・表についたタグ・穴が開いてたり、破れたようなジーンズなどなど・・・。

規制のものを壊して、自由を表現しているのだろうか…。

自由というのはある意味怖い。手綱がしっかりしていて、元に戻れるようでなければ、糸の切れた凧状態で、どこに行くかわからない。自由と気ままは違う。

本当の自由を手に入れるには、それ相当の努力を払い勝ち取っていかなくてはならない。

消費社会の現代、すぐに壊れてしまう安っぽい品物が多い。たまには、手の込んだ人間業を見て、目を肥やしてもいいかなと思ったりするが・・・。

 

板前さん

職業って大体二つに分けられると思う。 意に沿わないがお金のために働くのと、お金は度外視して、純粋に好きだからやるというのと。この両方を満たしている幸せ者もいるが・・・。

前者は、お金は入るが生き方としては格好いいとは言いかねる。 後者を選んだ人たちは、人々を魅了させることができる。

その道を極めた名人ともいえる人達には、人を感動させる力が備わる。

社会というのは、多様な価値観の中で作られているから、どんな職業であれ、あるべきものとして存在している。

一つの出会いによって、一生をかける仕事が決まる。 なかなか出会えないで、転々とする人もいるが・・・。

女性の立場からすると、結婚相手に選ぶ男性の条件は、意外とこの職業に占める割合が多い気がする。 私は、若い時から寿司を握る男性を想像してカッコイイと思っていた。そして、出会ってしまい結婚。 しかし、カッコイイということがどれだけの自己犠牲のもとに、築かれているのかということを、後に知ることになる。 日本人は妥協を許さない。

すべてのものに言えるのだが、限界を超えて初めて、本物が生まれる。

数限りない壁を越え出来上がっていく本物は、そこで終わらず永遠に生き続けていく。 試行錯誤を繰り返し、化学反応を起こし生まれてくる奇跡の味。

どの世界にも通じるのだが、日本人が愛してやまない寿司の味は、格別のものがある。

最高のお米で炊き上げるシャリにもこだわりがあり、調味料も微妙な配合で作られる。

お米のとぎ方に始まり、腕のいい板前さんだとシャリの握り具合は絶妙で、手に取ったときは崩れないが、其のシャリは口の中で、すしネタとの違和感なくほぐれていくという。(これは寿司通の人が言っていたのだが・・・。) 鮮度が命のすしネタは、すべて氷が張った状態で仕込んでいく。 冷たいという感覚を超えている。 しめ鯖一つでも、そこに至るまでの細かな工程をクリアさせ出来上がる。それぞれのネタに魂が吹き込まれる。大きなマグロの塊から均一にそろって切られたネタが並ぶ。 手間暇を惜しげもなく使って、作り上げる日本料理の極みである。

主人は、流氷の流れ来る最果ての海で、漁師の息子として生まれ育ち、海をこよなく愛している。 趣味の魚釣りをしていれば上機嫌である。 厳しい環境で育ったので、めったに泣き言は言わない。 どんなに過酷であっても寝ないで仕事をこなす。 いつも鋭利な包丁を握る仕事のせいか、短気で仕事をしているときは、怖くて近寄れない。 私は、こんな主人を、カッコイイと思ったせいで、ついていくのに少々苦労をした。 毎年暮れに、家族のためにと、家で握ってくれるお寿司はどんな料理よりも美味しくて、幸せを感じる。 粋でいなせな、江戸前寿司の板さん。 段々と減ってきているのは、寂しいことです。

今はとにかくスピードの時代である。

何もかもが目まぐるしく変わっていく。利益を出すために、いかに効率よく、生産していくかが日々問われている。 頭も身体もフルに使って、能力を引き出す事にスキが無い生活を送っている。 それは、毎日繰り返される。

逃げ場のないストレスは、やがて精神や肉体をむしばんでいく。 殆どが昭和の時代を過ごした私は、ちょっとした人生訓を母から学んだ。 賭け事はしない。借金もなるべくしない。などなど・・・。

賭け事こそしないが、借金を誘導させる時代背景があるのではないだろうか。 ローンといい方を変えると、なぜか抵抗が少ない。まんまとはまってしまった。

借金返済の為に、働くのとでは働き方に違いが出てくる。 ゆっくりとは走れない。全速力でなくては追いつけない。

消費拡大のために、われわれの時間が吸い取られていく。

嘆いていても始まらない。 手に入らないものがないこの時代に生きている私たちは、なんと恵まれていることか、それなりの楽しみ方も手に入る。

未来を創っていくのは自分だから、過去に引っ張られる愚かな生き方だけはしたくない と思っている私なのです。