未来快適空間

みんなは忘れている。

自分が間違いなく年老いていくことを。

老人にとって快適な未来は、自分たちのためのものでもあるのだ。

決して他人ごとではない。社会の片隅に追いやられる弱者の姿は、自分たちの未来の姿だ。若いという特権に胡坐をかいていては、日本の未来も底が知れたものになる。

今と未来だけしか眼中に置かない社会は、うすっぺらだ。過去の偉人が残した歴史を土台にするからこそ、新しい発想が生きてくる。

私が言いたいのは、肉体的にも精神的にもよわっていくからだに寄り添う、社会機構であってほしいという事。

発展の邪魔とばかりに、そこには時間もお金もかけたくないと思っているのではないだろうか。

自分がその身にならないと想像できない。だから今のお年寄りに耳を傾けて、自分たちの未来を想像すべきだと思う。

いまのお年寄りが抱える問題を解決することで、未来の快適空間を生み出していけるのではないだろうか。

若者と高齢者の雇用均等法も考えてほしい。労働能力は、年齢と比例しないという事。

固定概念で差別をしてほしくないと思う。お年寄りの中にも思った以上に働ける人はいる。

だいたいが定年制を引いた時点で、高齢者をないがしろ的にする発想を感じる。

定年を過ぎてから働こうと思うと、企業に対してなぜか卑屈になって、遠慮がちになる。決して迷惑をかけているわけではないのに、言いたいことも言えない立場。おかしいと思う・・・。