相手との妥協点はどこにあるのか

洗濯機で不自由を感じることがある。娘たちとの共同生活。主人と同じ洗濯機を使うことで生じる問題。私は、主人の洗濯物は洗濯機に入れる前に手でもみ洗いしてから入れている。出来ることなら洗濯機が別々だといいにだけれどそれは無理。それを解消できる方法はないものか?私の子供のころ親せきの家で見た手動式洗濯機を思い出した。

まるい地球儀のような形のものに、洗濯物を入れてそれを手でくるくる回すというものがあった。簡易式の洗濯機が欲しい。洗濯槽のなかに入れる前に予洗いしたいのである。

主人と二人だけの生活なら必要はないのだけれど、娘との間に立って悩ましいことが結構あるのだ。以上に潔癖な娘と、衛生面で全く気にならないその父親との板挟みに苦労している。主人のプライドを傷つけないように気をつけさせるのは難しい。

それにしても度の過ぎる潔癖症は生活不適合者になる。

人間はどこかで折り合いをつけて生きている。でなければ生きてはいけない。

何事も行き過ぎはよくない。想像力や清潔感など美徳と思われることも行き過ぎると、コミュニケーションに問題を生じる。しかし、ほどほどというのも程度が分からない。

複雑な状況が絡んで、その時一番いいだろうと思う妥協点を見出していくしかない。

わがままを通せるうちはよいが、通せないことが増えてくる。

わがまま度が強い人が、ストレスをためる。

相手を許すとか受け入れるということは、その人の人間力によるのだが一生の課題である。